碓氷関所跡(うすいせきしょあと) |
指定日 |
県指定文化財
昭和30.01.14 |
種類 |
関所跡 |
住所 |
安中市松井田町横川乙573 |
現地の
案内板 |
醍醐天皇の昌泰2年(899年)に群盗を取り締るために、関所が碓氷坂に設けられた。
この地に関所が移ったのは、元和年間(1615〜1623年)といわれ、幕藩体制を中心とした、徳川幕府の確立・安定という政治的意味をもつものとなり、いわゆる「入鉄砲に出女」の取締りをねらいとしたものになった。明治2年(1869年)廃関されるまで中仙道の要所となった。
門柱および門扉は当時使用されていたもので、総ケヤキ材の要所に金具を用いた堅固なものである。ほかに屋根材6点と台石も当時のもので、昭和34年1月、東京大学教授工学博士 藤島亥治郎氏の設計により復元された。
この位置は番所跡にあたり、復元された門は東門である。
松井田町教育委員会 |
リーフ
レットより |
【関所通行と処刑】
江戸時代の関所は、関所手形の内容や鉄砲の出入りを改めて、その通行を許可した。
通行人は番所の前の石段を登り、番所の前にある“おじぎ石”に手をつき、ひざまいついて手形を差出し許しを受けたという。
碓氷関所の改め規定は、1制札三ヶ条2掛板十六ヶ条3古法申し継ぎ十一ヶ条4平日の改め四十七ヶ条などがあった。特に“入鉄砲と出女”の取締に重点がおかれ、提出された手形は、再び安中藩から幕府に送られてしらべられた。
関所の門限は「明け六つから暮六つまで」と定められ、門限以外は特別な場合を除き、固く門を閉じていた。関所を破った人は御定書により磔・獄門刑に処された。 |
安中市ホームページ(外部サイト)
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