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お富士山古墳所在長持形石棺
(おふじやまこふんしょざいながもちがたせっかん)
築造年代 5世紀
指定日 県指定文化財
平成13.03.23
種類 長持型石棺
大きさ 長さ285cm、幅121cm、高さ115cm、重さ約6.8t
住所 伊勢崎市安堀町799
その他 長持型石棺は5世紀中頃に築かれたお富士山古墳に所在します。
現地資料より 長持型石棺は、衣服などを入れる長持ににているところから命名されたものです。底石、長辺部の側石と短辺部の小口石で箱形をつくり、かまぼこ形をした藍石と合わせて六枚で構成された古墳時代中期(五世紀)に特徴的な組合式石棺のひとつです。
この長持型石棺は、江戸時代に伊勢崎藩の関重嶷が著した『発墳暦』や『伊勢崎風土器』にも記されており、古くから存在が知られていました。その大きさは、長さ二八五センチ、幅一二一センチ、高さ一一五センチ、重さ約六・八トンあります。
また側石や小口石、底石には組み合わせるための溝や段が彫られ、藍石や側石、そして底石の縁辺に棒状の縄かえ突起が造り出されています。小口石の外面に小さな方形の突出も見られます。
長持型石棺が所在するお富士山古墳は、五世紀中頃に築かれた墳丘主軸長が約一二五メートルで、市内最大の前方後円墳です。石棺の製作年代は古墳の築造年代と一致するため、その埋葬施設として使われた可能性があります。
長持型石棺は、全国で四十五例ほど知られています。その多くは幾内の大王墓と考えられる古墳に用いられており、関東では、お富士山古墳と太田市天神山古墳のほか、千葉県で二例知られているだけです。こうしたことから、お富士山古墳の被葬者は、この地域の首長で、ヤマト王権と政治的なつながりのあった人と考えられます。

伊勢崎市教育委員会


お富士山古墳(おふじやまこふん)
築造年代 5世紀中頃
指定日 伊勢崎市指定史跡
昭和41年4月12日
種類 前方後円墳
大きさ 全長125m、前方部幅83.2m、前方部高さ5.5m、後円部径77.2m、後円部高さ9.5m
住所 伊勢崎市安堀町799
現地の
案内板より
お富士山古墳は市内最大の前方後円墳で、墳丘の全長が約125mあります。明治21年に前方部の一部が削り取られましたが、前方後円墳の形状を現在まで良くととめています。
墳丘は3段築造で、周囲を巡る掘跡は、昭和63年の発掘調査で盾形を呈すことがわかりました。
築造年代は出土遺物などから5世紀中頃と推定されています。後円部の墳頂には富士神社があり、その傍らには畿内地方の大王墓と同様の形態をもつ砂岩製の長持型石棺が埋置されています。
全長 一二五メートル
主軸 北七四度東
前方部幅 八三・二メートル
前方部高さ 五・五メートル
後円部径 七七・二メートル
後円部高さ 九・五メートル

平成十一年二月五日
伊勢崎市教育委員会

お富士山古墳長持型石棺全景
1.全景
中に石棺が保管されています
お富士山古墳長持型石棺
2.石棺
お富士山古墳(富士神社入り口)
3.お富士山古墳(富士神社入り口)
お富士山古墳説明版
4.説明版
お富士山古墳墳丘上
5.墳丘上

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