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重要文化財 彦部家住宅
■中世武士館“彦部家屋敷”−
彦部家は第40代天武天皇の皇子“高市親王”(7世紀)を始祖とし以来1300年、また中祖信勝(33代)が1560年中世京文化を携えて来桐以来440年を数える“歴史の家”です。
彦部家屋敷は1992年(平成4年)、主屋・長屋門・冬住み・文庫倉穀倉の5棟と、宅地20,600平方メートルが重要文化財彦部家住宅として指定を受けました。
屋敷構えは、背後を戦時の砦となる手臼山、残る三方を壕や土塁で固め、中世武士館のたたずまいを残しています。南側は大手口(正面)に長屋門を構え、両脇を玉石で覆った土塁が築かれています。東側は高く積み上げた土居と、約4m下の水路がかつての壕の面影を残しています。東北隅には櫓台、この西脇に溺手口(裏門)を設けています。ここから西へ深い空壕が直線状に続き、西北隅には竹が岡八幡宮・稲荷神社・弁財天等を屋敷神として奉っています。また、庭園は手臼山の借景を自然に取り入れた竹林・果樹園、そして室町風池泉回遊式庭園へと続いております。
主屋は17世紀初頭の建築で、敷地のほぼ中央に建ち、南東に19世紀前半建築の冬住み(隠居屋)、後方には幕末の建築である文庫倉・穀倉が並んで配置されています。この他、編物業を営んでいた時の従業員寄宿舎(大正期)・医務所(昭和期)等々が時代の変遷を伝えています。 |