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彦部家住宅 (ひこべけじゅうたく)
建築年代 17世紀前期
指定日 国指定文化財
平成04.08.10
住所 桐生市広沢町6丁目877番地
開館日 土・日・祝祭日
開館時間 AM10:00〜PM4:00
入場料

大人500円(高校生以上)
小人300円(小・中学生)
団体(20名様以上は1割引、要予約)
※開館日以外の来館は要予約

現地
説明版
より

重要文化財 彦部家住宅
■中世武士館“彦部家屋敷”−

彦部家は第40代天武天皇の皇子“高市親王”(7世紀)を始祖とし以来1300年、また中祖信勝(33代)が1560年中世京文化を携えて来桐以来440年を数える“歴史の家”です。
彦部家屋敷は1992年(平成4年)、主屋・長屋門・冬住み・文庫倉穀倉の5棟と、宅地20,600平方メートルが重要文化財彦部家住宅として指定を受けました。
屋敷構えは、背後を戦時の砦となる手臼山、残る三方を壕や土塁で固め、中世武士館のたたずまいを残しています。南側は大手口(正面)に長屋門を構え、両脇を玉石で覆った土塁が築かれています。東側は高く積み上げた土居と、約4m下の水路がかつての壕の面影を残しています。東北隅には櫓台、この西脇に溺手口(裏門)を設けています。ここから西へ深い空壕が直線状に続き、西北隅には竹が岡八幡宮・稲荷神社・弁財天等を屋敷神として奉っています。また、庭園は手臼山の借景を自然に取り入れた竹林・果樹園、そして室町風池泉回遊式庭園へと続いております。
主屋は17世紀初頭の建築で、敷地のほぼ中央に建ち、南東に19世紀前半建築の冬住み(隠居屋)、後方には幕末の建築である文庫倉・穀倉が並んで配置されています。この他、編物業を営んでいた時の従業員寄宿舎(大正期)・医務所(昭和期)等々が時代の変遷を伝えています。

現地
説明版
より
■重要文化財
  彦部家住宅
■市指定重要文化財
  彦部家仁田山紬注文書

彦部家の先祖は足利将軍家の重臣であったといわれ、当家には足利義輝の侍女小侍従が彦部雅楽頭晴直にあてた生糸・綾・紬の注文書が残っている。この注文書は桐生の織物が室町中期に商品として京都に出回っていた事実を物語っていることから、市重要文化財の指定をうけた。
また永禄四年(一五六一)に彦部信勝は、金山城主由良成繁から広沢郷に千疋の地をたまわり、現在地に屋敷をかまえて定住したという記録も残っている。
この屋敷は南西側をのぞく三方に土居・堀をめぐらし、北角の土居を一段高く築いて櫓台とした東西百三十メートル、南北百二十メートルの単郭平城である。
南面中央に追手、、北面東寄りに搦手虎口を設け、追っ手には寄棟造りの長屋門があり、搦手は蔀土居で内側は野面積みの石垣となっている。郭内の建造物は中央に入母屋造りの母屋、東北角に寄棟造りの隠居屋、北寄りに土蔵がある。建立年代は長屋門・母屋は江戸初期、隠居屋は江戸末期と推定できる。そして西北角に屋敷神をまつり、南西側に庭園を配している。
郭外には西部に手臼山砦跡、西北部に菩提所福厳寺、南部に一族屋敷跡、北部に譜代屋敷跡がみられ、室町末期地方領主の屋敷がまえのすがたを現在もよく伝えていることから国重文の指定をうけ、長屋門は昭和五十一年に解体修理された。

昭和五十八年十月

桐生市教育委員会


彦部家住宅 長屋門
1.長屋門
彦部家住宅 長屋門
2.長屋門
彦部家住宅 冬住み
3.冬住み
彦部家住宅 主屋
4.主屋
彦部家住宅 穀倉
5.穀倉
彦部家住宅 文庫倉
6.文庫倉
彦部家住宅 池泉回遊式庭園
7.池泉回遊式庭園
彦部家住宅 溺手口
8.石垣の溺手口
彦部家住宅 説明版
9.説明版
彦部家住宅 仁田山紬注文書
10. 仁田山紬注文書

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