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二子山古墳




二子山古墳(ふたごやまこふん)
築造年代・・・・・・・・6世紀前半〜7世紀初期

指定日・・・・・・・・・・国指定文化財  昭和02.06.14

種類・・・・・・・・・・・・前方後円墳

住所・・・・・・・・・・・・前橋市文京町3-26
<案内板より>

前橋二子山古墳は昭和2年国史跡に指定され、地名をとった天川二子山古墳で親しまれています。
古墳のかたちは前方後円墳といい、墳丘は二段に築かれています。墳丘の表面は川原石が厚く敷きつめられていますが、墳丘を保護するため、薄く盛土をしています。
埋葬施設は未調査ですが、横穴式石室と推定されています。また、周囲をめぐる堀の一部が県立文書館の敷地内で確認されました。
 墳丘の規模 全長104m
         前方部幅76m 後円部径72m
         前方部高9.5m 後円部高11m

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前橋(天川)二子山古墳と広瀬古墳群
天川二子山古墳がある地域は、古代をしのぶ古墳や集落の多いところです。この分布図は、昭和10年の調査や航空写真をもとに作成したもので、昭和10年の調査では約150基程数えられますが、それ以前に失われた古墳を含めると、さらに多くの古墳がありました。
このように広瀬古墳群は関東においてもかなりの規模を持ったものでした。
左上図のように、広瀬川低地帯を見おろす前橋団地のふちに細長く立地し、天川二子山古墳はその西北端にあります。

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古墳が造られるようになったのは、近畿地方では4世紀前半頃、関東地方では4世紀後半頃からで、8世紀初め頃まで造られました。
広瀬古墳群は、天川二子山古墳のような前方後円墳や(16)八幡山古墳のような前方後円墳などの大きな古墳と、多くの小規模な円墳などからなっています。
古墳を造るには、高度な土木技術や大勢の人々の労働力や強い統率力などが必要とされました。
(17)前橋天神山古墳や(16)八幡山古墳のあるこの地域は、4世紀後半頃の国づくりの中心でした。

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そして、天川二子山古墳のような大きな古墳は、前橋の地域に勢力をもっていた朝倉君の墓だと考えられています。
分布図を見ても判るように、いくつかの大きな古墳を持つ広瀬古墳群のあったこの地域は、東国の古墳文化の中心地の一つでした。
古墳が造られた時期は、次のとおりです。

(17)前橋天神山古墳(県史跡) 4世紀後半頃
   関東で最初に造られた前方後円墳の
    一つ
(16)八幡山古墳(国指定) 4世紀後半前後
   全国でも最大級の前方後円墳の一つ
(38)亀塚山古墳(市史跡) 5世紀前半〜
    6世紀初期
(1)天川二子山古墳 6世紀前半〜7世紀初期




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