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上野国分寺跡(こうずけこくぶんじあと)
築造年代 奈良時代の天平13年(741)、聖武天皇が「国分寺建立の詔」を発することにより、全国に造営されることになった。
上野国分寺は749年ごろ完成。
指定日 国指定文化財
大正15.10.20
大きさ 東西約220m 南北約235m
周囲は築垣で囲まれている。
中央には本尊の釈迦像をまつる金堂と七重塔が建てられた。
住所 高崎市東国分町・引間町
前橋市元総社町
現地資料
より

国分寺が造られた頃
今からおよそ1250年前、平城京(奈良市)を中心に全国を約60の国に分けて治める律令政治が行われていました。
当時、災害や政治の乱れに苦しんだ聖武天皇は、仏教の力でこれを治めようと、国ごとに国分寺を造らせるとともに京には東大寺を建てました。こうした寺院は政府によって造られましたが、各地方の豪族や農民にも協力が求められました。

上野国の国分寺
上野国の国分寺は、政治の中心であり今の県庁にあたる国府の北西に、西に僧寺・東に尼寺が並ぶように建てられました。
歴史書によると、碓氷郡や勢多郡の豪族の協力により、750年頃に主な建物が完成したようです。国分寺全体の中でも、最も早い時期に姿が整ったものといえます。
僧寺は東西約220m・南北約235mの広さをもち、周囲は対垣(土塀)で囲まれていました。その中央には本尊の釈迦像をまつる金堂と、高さが60.5mもある七重塔が立てられていました。

遺跡の発掘と整備
古い記録や調査のようすから、1000年頃には築垣や門は壊れていましたが、金堂などは残っていたことがわかります。しかし1380年頃にはそれも滅びてしまったようです。その跡は道路などで分断されずによく残っており、大正15年(1926)に国の史跡に指定されました。



周辺施設 ガイダンス施設「上野国分寺館」
七重塔の模型や国分寺跡から出土した瓦などが展示されています。

◇場所
  上野国分寺跡敷地内
◇開館時間
 午前10時〜午後4時
◇休館日
 火曜日
 夏期(8/13〜8/16)
 年末年始(12/29〜1/3)
◇入場料
 無料
上野国分寺跡 金堂の基壇(復元)
1.金堂の基壇(復元)
上面には36個の礎石が並んでいる
上野国分寺跡 金堂の礎石
2.金堂の礎石
上野国分寺跡 七重塔の基壇(復元)
3 .七重塔の基壇(復元)
1辺19.2mの正方形で、上面には17個の礎石が並んでいる
上野国分寺跡 石碑
4.石碑

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